PAPLUS®への想い
今回を第1回として始まる、PAPLUS®ジャーナル。
PAPLUS®の開発や製造の裏側、人、企業との繋がりなどをさまざまな角度からお伝えしていきたいと思います。
第1回目の今回は「PAPLUS®への想い」と題して、代表の深澤がどのような経緯でPAPLUS®を生み出していったのかを紹介していきます。
いつまでも頭から離れなかった、プラスチックの山
カミーノ代表深澤は大学卒業後、外務省に入省。在職中、途上国勤務をしていた際、海岸など多くの場所にあるプラスチックゴミの山とそこに暮らす人々や子供たちに強烈なインパクトを受けました。そのような光景を見て漠然と「使い捨てプラスチックが、この世の中からなくならないかな」と思っていました。ですが当時は、自分がこの問題に関わるとは思っていなかったようです。
外務省を退官後、企業の海外展開をお手伝いするPRマーケティング会社を立ち上げました。様々な企業へコンサルティングに入っていく中で、外務省時代の経験が生かせている実感がありました。そんな充実した時を過ごす中、なぜか途上国勤務で見たあのプラスチックの山が自分の脳裏から離れなかったのです。気がつくと、深澤は日本のプラスチック問題に対して何かできることはないかを考え始めていました。
紙の可能性を探れば、
新たな素材を作ることができるかもしれない
そこで、どのようなアプローチであればプラスチック問題を解決できるかを調べていきました。その中で「そうだ、プラスチックに代わる物ってまずは紙だよね」と気づいたのです。紙の可能性を掘り下げれば、今プラスチックであることが、当たり前な製品を紙で作れるのではないかと。ですが、深澤は紙やプラスチックの業界にはいたことがなく、全くの門外漢です。そこから必死でさまざまな国や企業の事例の研究や、素材や加工技術を勉強していきました。そして、生分解性プラスチックの存在にたどり着くのです。さらに紙を混ぜることで、ほぼ100%天然成分のプラスチックができるのではと考えました。
同じ志を持つ、小松さんとの出会い
そこから深澤は、アドバイスをもらいに大学の研究者を訪ねました。ところが「それは専門外だから」「研究費いくら出してくれるの」などと全く相手にしてもらえなかったのです。「夢に終わってしまうのか…」と見切りをつけようかと思っていたところ、深澤はあることを思い出します。外務省時代の同僚が働いているフランスにある領事館のSNSで、生分解性プラスチックに関して講義をしている日本人を紹介していたことを。それがPAPLUS®の技術顧問である小松道男さんです。すぐに同僚に連絡をし、紹介を依頼しました。
初めて小松さんとお会いした時、プラスチックの問題で日本が酷評されることに対して、大きなもどかしさを深澤と同様に抱えていることがわかりました。技術的には十分にできるのに、国がそれを推進しなかったことが悔しいと。また、深澤は外務省を退官する直前は海外広報の担当でした。その時の経験を通して、知られざる日本の価値や魅力をもっと知ってもらいたいという想いを強くしていました。プラスチック問題を解決するという形で、日本の価値をつくることができないかと考えていたのです。小松さんと深澤の想いの共通項として「日本発」でプラスチック問題の解決策をつくりたいという強い想いがありました。そのように同じ志を持つ小松さんとの出会いがあり、製品の開発が始まっていったのです。